おはようございます!代表の安田です。
今日から2日間、共通テストとのこと。
オジサン世代にとってはセンター試験、おじいちゃん世代にとっては共通一次という呼び方かと思います。
自分が公認会計士になった分岐点の1つ目はセンター試験での失敗でした。
センター試験2日前だっと思いますが、高熱が出て、病院に行くとインフルエンザの診断。
センター本番を受験できず、1週間後に実施される追試験というものを受けました。
追試験は日本で2ヶ所でしか開催されておらず、西日本は神戸大学が会場でした。
まだ香川から近くて良かったなと思います。
母親が付き添ってきてくれました。
当時はまだJR三ノ宮駅の上に商業ビルとホテル(確かターミナルホテルという名前のホテル)があり、そのホテルに泊まりました。
当時の第一志望は京都大学法学部で、小学生か中学生の頃に観た”ビギナー”という弁護士を描いたドラマの影響で弁護士になりたいなと思っていたので、法学部に進もうと思い、また中学の頃に京都に遊びに行った際に街がすごくきれいだなと感じ、京都で4年間過ごしたいと思って京都大学を志望しました。
2006年はセンター本番がやけに簡単で、京都大学法学部の予想ボーダーが92%と出ていました。例年であれば87%とか88%だったと思いますので5%くらい上がっていました。
例年、追試験は本番よりもかなり難しく作られており、下手したら10%くらいは下がるレベルの難易度でしたが、私の得点は82%。
法学部はセンター:二次=250:500でセンターの比率がまあまあ高くて、ボーダーと10%ほど差があったので絶望していましたが、当時の担任の先生が「後期の経済学部なら50:900だからほぼ二次の一発勝負だ」と教えてくれたので、照準を後期の経済学部に変えて、前期法学部でしか使わない社会(日本史)を捨てて、センター試験が終わってから後期経済の国数英の3科目に絞りました。
作戦が見事にハマって狙い通り後期で合格出来ました。その年で京都大学経済学部の後期試験が最後となり、翌年から後期試験が廃止されたので本当に運が良かったと思っています。
田舎は超国公立主義。親から私立には絶対に行くなと言われていたし、自分も行く気は無かったので滑り止めの私立も受けておらず、浪人を覚悟していたので、「浪人しなくて良いんだ!」という気持ちで人生で一番喜んだ瞬間でした。
法学部に行きたかったけど、経済学部でも全然良いや、後で考えようと思いとりあえず進学しました。
その後のことは後日書きます。

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