大企業向け賃上げ促進税制の廃止後も賃上げが必要?マルチステークホルダー方針との関係を解説
- 安田 亮
- 2 日前
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おはようございます!代表の安田です。
2026年度税制改正により、いわゆる「全企業向け賃上げ促進税制」は、2026年3月31日をもって廃止されました。
法人については、2026年4月1日以後に開始する事業年度から、従来の全企業向け制度を利用できません。国税庁も、全法人向けの措置が廃止され、中堅企業向け・中小企業向けの制度へ再編されたことを公表しています。
そこで、大企業の経理・税務担当者からは、次のような疑問が生じやすくなっています。
「大企業向けの賃上げ促進税制がなくなったのであれば、今後は賃上げ率を計算する必要もなくなるのではないか」
結論として、必ずしもそうではありません。
大企業が研究開発税制や一定の設備投資税制などを利用する場合には、「特定税額控除規定の不適用措置」との関係で、引き続き継続雇用者給与等支給額の増加率を計算し、一定の賃上げ要件を満たす必要があります。
一方、この不適用措置における賃上げ要件を満たすために、マルチステークホルダー方針を公表する必要はありません。
ただし、大企業が「中堅企業向け賃上げ促進税制」を適用する場合には、企業規模によってマルチステークホルダー方針の公表・届出が必要になります。
制度名が似ており混同しやすいところですが、税制ごとに要件を切り分けて確認することが重要です。
全企業向け賃上げ促進税制は2026年3月末で廃止
賃上げ促進税制は、企業が従業員の給与を一定割合以上増加させた場合に、給与等の増加額の一部を法人税額から控除できる制度です。
2026年度税制改正前は、主に次の3つの制度が設けられていました。
全企業向け賃上げ促進税制
中堅企業向け賃上げ促進税制
中小企業向け賃上げ促進税制
このうち、全企業向け賃上げ促進税制は、法人について2026年3月31日までに開始する事業年度を最後に廃止されました。
2026年4月1日以後に開始する事業年度については、中堅企業向け制度と中小企業向け制度が中心となります。中堅企業向け制度は対象事業者を常時使用する従業員数2,000人以下の法人等とし、賃上げ率の要件や控除率も見直されています。
したがって、従業員数が多く中堅企業向け制度の対象にもならない大企業は、賃上げを行っても、従来のような賃上げ促進税制の税額控除を受けられません。
しかし、「税額控除を受けられないこと」と「賃上げ率を計算する必要がなくなること」は同じではありません。
特定税額控除規定の不適用措置とは
特定税額控除規定の不適用措置とは、所得が増加しているにもかかわらず、賃上げや国内設備投資に消極的な一定の大企業について、研究開発税制などの政策的な税額控除を制限する制度です。
根拠となる主な規定は、租税特別措置法第42条の13第5項です。
一定の大企業が対象となる税額控除の適用を検討する場合には、まず、この不適用措置に該当しないかを確認しなければなりません。
対象となり得る税制には、例えば次のようなものがあります。
研究開発税制
カーボンニュートラル投資促進税制
地域未来投資促進税制
大胆な設備投資促進税制
その他の一定の政策税制
税制ごとに具体的な判定方法は異なりますが、対象となる大企業については、継続雇用者給与等支給額の増加要件や、国内設備投資額の要件が問題となります。
国税庁の通達でも、同措置における常時使用する従業員数、国内設備投資額、減価償却費などの具体的な判定方法が示されています。
大企業向け賃上げ税制がなくなっても賃上げ要件は残る
今回の重要なポイントは、全企業向け賃上げ促進税制と、特定税額控除規定の不適用措置は、別の制度であるということです。
全企業向け賃上げ促進税制は、賃上げをした企業に税額控除を与える制度でした。
これに対して、特定税額控除規定の不適用措置は、一定の賃上げや設備投資を行っていない大企業について、他の税額控除を利用できなくする制度です。
両者の違いを整理すると、次のようになります。
項目 | 全企業向け賃上げ促進税制 | 特定税額控除規定の不適用措置 |
制度の目的 | 賃上げを行なった企業に税額控除を与える | 賃上げ・投資に消極的な大企業の他の税額控除を制限する |
2026年4月以後 | 廃止 | 引き続き適用 |
賃上げをしなかった場合 | 賃上げ税額控除を受けられない | 研究開発税制等を受けられない可能性がある |
マルチステークホルダー方針 | 旧制度では一定の大企業に必要 | 賃上げ要件を満たすための公表は不要 |
したがって、大企業が賃上げ促進税制を利用しない場合でも、研究開発税制や設備投資税制の適用を検討するのであれば、賃上げ率の計算が必要になる可能性があります。
2026年度改正後は賃上げ率1%以上または2%以上
特定税額控除規定の不適用措置における賃上げ要件は、継続雇用者給与等支給額の対前年度増加割合を、法人の規模等に応じて1%以上または2%以上とするものです。
一般的な対象法人では、継続雇用者給与等支給額の増加割合を1%以上とすることが求められます。
さらに、資本金や従業員数が一定規模以上の大規模法人については、上乗せされた2%以上の基準が適用されます。
ここでいう継続雇用者給与等支給額は、単純に当期の給与総額と前期の給与総額を比較するものではありません。
一定の継続雇用者に支給した給与等を対象として、当期と前期を比較します。出向者、合併・会社分割、事業年度の月数変更、雇用関係助成金などがある場合には、個別の調整が必要になることがあります。
賃上げ促進税制の税額控除を受けないからといって、給与データの集計を止めてしまうと、他の税額控除を利用する段階で計算資料が不足するおそれがあります。
研究開発税制以外では国内設備投資要件にも注意
特定税額控除規定の不適用措置では、適用を受けようとする税制によって、確認すべき要件が異なります。
研究開発税制以外の一定の税制を利用する場合には、原則として次の両方を満たす必要があります。
継続雇用者給与等支給額を一定割合以上増加させること
一定水準以上の国内設備投資を行うこと
つまり、賃上げ要件を満たしていても、国内設備投資要件を満たさなければ、対象となる税額控除を利用できない可能性があります。
反対に、多額の設備投資を行っていても、賃上げ率が基準に届かなければ、税制の適用を制限されることがあります。
制度適用を検討するときは、税額控除の本来の要件だけでなく、特定税額控除規定の不適用措置まで含めた二段階の確認が必要です。
特定税額控除規定の賃上げ要件にマルステ方針は不要
大企業向け賃上げ促進税制では、一定の企業が税額控除を利用するために、マルチステークホルダー方針の公表と届出を行なうことが要件とされていました。
このため、全企業向け賃上げ促進税制の廃止後も、特定税額控除規定の不適用措置における賃上げ要件を満たすには、マルチステークホルダー方針の公表が必要なのではないかと誤解されることがあります。
しかし、両者は別の制度です。
特定税額控除規定の不適用措置については、継続雇用者給与等支給額の増加割合などを判定しますが、その要件としてマルチステークホルダー方針の公表までは求められていません。
したがって、研究開発税制や設備投資税制を適用するために、同不適用措置の賃上げ要件を確認するだけであれば、原則としてマルチステークホルダー方針を公表する必要はありません。
マルチステークホルダー方針とは
マルチステークホルダー方針とは、企業が従業員、取引先、株主、投資家、地域社会など、複数の利害関係者との価値協創や適切な利益配分について定め、公表する方針です。
税制上の要件として公表する場合には、単に自社ホームページへ文章を掲載するだけでは足りません。
所定の期限までに方針を公表するとともに、経済産業省へ所定の届出を行う必要があります。また、パートナーシップ構築宣言の公表など、関連する手続も確認しなければなりません。
経済産業省は、対象となる税制、方針の公表期限、届出期限などを案内しており、届出は適用事業年度ごとに必要としています。
中堅企業向け賃上げ促進税制ではマルステ方針が必要な場合がある
特定税額控除規定の不適用措置ではマルチステークホルダー方針が不要であっても、大企業が中堅企業向け賃上げ促進税制を利用する場合には、話が変わります。
2026年度改正後の中堅企業向け賃上げ促進税制は、原則として、常時使用する従業員数が2,000人以下である法人などが対象です。
このため、資本金が1億円を超える税法上の大企業であっても、従業員数などの要件を満たせば、中堅企業向け制度を利用できる場合があります。
ただし、適用事業年度終了時に、次の両方を満たす法人については、マルチステークホルダー方針の公表と届出が必要です。
資本金または出資金の額が10億円以上
常時使用する従業員数が1,000人以上
経済産業省も、中堅企業向け賃上げ促進税制について、この規模要件を満たす法人にはマルチステークホルダー方針の公表・届出が必要であると明示しています。
マルステ方針が必要かどうかの整理
2026年4月1日以後開始事業年度について、主な取扱いをまとめると次のようになります。
適用を検討する制度 | マルチステークホルダー方針 |
全企業向け賃上げ促進税制 | 制度自体が廃止 |
特定税額控除規定の不適用措置における賃上げ判定 | 不要 |
中堅企業向け賃上げ促進税制 | 一定規模以上の法人は必要 |
中小企業向け賃上げ促進税制 | 原則不要 |
「賃上げ要件があるか」ではなく、「どの税制の賃上げ要件か」を確認することが大切です。
<具体例1:研究開発税制を利用する大企業>
次の法人を想定します。
資本金5億円
従業員800人
当期所得が前期所得を上回っている
研究開発税制の適用を予定している
この法人は、全企業向け賃上げ促進税制が廃止されたため、賃上げそのものによる税額控除は受けられません。
しかし、研究開発税制の適用に当たっては、特定税額控除規定の不適用措置を確認する必要があります。
継続雇用者給与等支給額の増加率が所定の基準を下回った場合には、研究開発税制の適用が制限される可能性があります。
一方、この判定のためだけに、マルチステークホルダー方針を公表する必要はありません。
<具体例2:中堅企業向け賃上げ税制を利用する資本金10億円以上の法人>
次の法人を想定します。
資本金15億円
従業員1,500人
グループ全体の従業員数は1万人以下
中堅企業向け賃上げ促進税制の適用を予定している
この法人は資本金が1億円を超えるため、税法上は大企業に該当します。
一方、従業員数が2,000人以下であることなどの要件を満たせば、中堅企業向け賃上げ促進税制の対象になる可能性があります。
ただし、資本金10億円以上かつ従業員数1,000人以上であるため、マルチステークホルダー方針の公表と届出が必要です。
この場合、賃上げ率の要件を満たしていても、方針の公表・届出を失念すると、税額控除を受けられない可能性があります。
実務上の確認手順
大企業が各種税額控除の適用を検討するときは、次の順序で確認すると整理しやすくなります。
1.適用する税額控除を特定する
まず、研究開発税制、設備投資税制、中堅企業向け賃上げ促進税制など、利用を予定している制度を洗い出します。
税制ごとに本来の適用要件と、特定税額控除規定の不適用措置との関係が異なります。
2.企業規模を判定する
次の情報を確認します。
資本金または出資金の額
常時使用する従業員数
グループ会社を含めた従業員数
大規模法人との資本関係
適用事業年度終了時点の状況
資本金だけで大企業・中堅企業を判断すると、制度の適用関係を誤る可能性があります。
3.当期と前期の所得金額を確認する
特定税額控除規定の不適用措置では、当期所得と前期所得の関係が重要です。
所得金額は会計上の当期純利益とは異なるため、法人税申告上の所得金額を基礎に判定します。
4.継続雇用者給与等支給額を計算する
賃金台帳、給与システム、雇用保険の加入状況などを基に、対象となる継続雇用者を抽出します。単純な給与総額の前年比較ではない点に注意が必要です。
5.国内設備投資要件を計算する
研究開発税制以外の一定の税制については、国内設備投資額と減価償却費などを比較する必要があります。
固定資産台帳、建設仮勘定、資本的支出、圧縮記帳などのデータも確認します。
6.マルチステークホルダー方針の要否を確認する
特定税額控除規定の判定だけであれば、原則としてマルチステークホルダー方針は不要です。一方、中堅企業向け賃上げ促進税制を利用する一定規模以上の法人は、公表・届出が必要です。
制度名だけで判断せず、実際に適用する条文ごとに確認しましょう。
計算資料は継続して保存する
全企業向け賃上げ促進税制の廃止に伴い、「今後は継続雇用者のデータを作成しなくてもよい」と考えてしまうと、研究開発税制等の申告時に困る可能性があります。
少なくとも、次の資料は継続して整備しておくことが望まれます。
当期・前期の給与台帳
継続雇用者の抽出資料
雇用保険の加入状況
出向者に係る給与負担金資料
給与等に充てる助成金の資料
組織再編があった場合の調整計算
当期・前期の所得金額の計算資料
固定資産台帳
国内設備投資額の集計資料
マルチステークホルダー方針の公表・届出資料
税制適用の可否は、決算期末後に初めて検討するのではなく、期中から賃上げ率や設備投資額を試算しておくことが重要です。
まとめ
2026年度税制改正により、全企業向け賃上げ促進税制は廃止されました。
しかし、大企業にとって賃上げに関する税務判定がすべて不要になったわけではありません。
研究開発税制や一定の設備投資税制を利用する場合には、特定税額控除規定の不適用措置との関係で、引き続き継続雇用者給与等支給額の増加率を確認する必要があります。
一方、この不適用措置における賃上げ要件を満たすために、マルチステークホルダー方針を公表する必要はありません。
ただし、大企業であっても中堅企業向け賃上げ促進税制を利用できる場合があり、資本金10億円以上かつ従業員数1,000人以上の法人については、マルチステークホルダー方針の公表・届出が必要です。
実務では、次の3つを混同しないことが重要です。
廃止された全企業向け賃上げ促進税制
引き続き残る特定税額控除規定の不適用措置
一定の法人が利用できる中堅企業向け賃上げ促進税制
研究開発や大型設備投資を予定している大企業は、税額控除の本来の要件だけでなく、賃上げ要件、国内設備投資要件、マルチステークホルダー方針の要否を早い段階から確認しておきましょう。
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【この記事の執筆者】
安田 亮(公認会計士・税理士)
安田亮公認会計士・税理士事務所 代表
京都大学経済学部在学中に公認会計士試験に合格。有限責任 あずさ監査法人、株式会社神戸製鋼所での実務経験を経て、2018年に神戸市で独立。
現在は、中小企業から上場企業に対する税務顧問、決算支援、税効果会計、連結決算、新リース会計基準への対応、組織再編、補助金・助成金に関する支援などを行なっています。また、金融機関や大手企業が運営する税務・会計・経営分野のWebメディアにおいて、記事の執筆・監修にも携わっています。
事務所ブログでは、税制改正や会計基準、経営実務に関する情報を、専門用語をできるだけかみ砕き、経営者や経理担当者の方に役立つ形で解説しています。





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